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      <title>芸術を捨てた芸術家</title>
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      <description>大ガラスに魅せられたんだよね。もっと知りたいよ。</description>
      <language>ja</language>
      <copyright>Copyright 2010</copyright>
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         <title>旅行先でのトイレ問題</title>
         <description><![CDATA[町を歩いていてトイレに行きたくなったとき、どうするか・・・？


切実な場合には「大変切実な」問題です。


それにもかかわらず、これまでの旅行ガイドブックは、これについて適切なアドバイスを与えていません。


これは、誠に不思議なことです。


余計な情報は満載なのに、最も切実な事態への情報提供がないのです。


これは、とくに日本人旅行者にとって問題でしょう。


なぜなら、「町中で利用できるトイレがどこにあるか」が、日本と欧米でかなり違うからです。


日本の場合、普通行くのは、デパート、ホテル、駅、それにパチンコ店などでしょう。


橋のたもとにも、公衆トイレがある場合が多いですね。


ところが、欧米ではこのいずれもが駄目なのです。


デパートにトイレはありますが、分かりにくい場所にありますし、数も少ないです。


日本だと大きな書店などにトイレがありますが、欧米ではありません。


一般に、商店のトイレは使えないと考えるべきでしょう。


駅も、長距離列車の駅にはありますが、地下鉄の駅にはないのです。


ホテルも、小さなホテルでは、宿泊客でないと入りにくいもの。


橋のたもとにもありません。


パチンコ店はそもそも存在しません。


このように、トイレのありかは、日本の場合と非常に違うのです。


共通なのは、公園の公衆トイレくらいでしょうが、アメリカでは、これも駄目です。


あっても閉鎖されている場合が多いですし、閉鎖されていなくても、危険なのです。


では、トイレはどこにあるのでしょう？


答えは、パブやカフェー、そしてレストランです。


トイレだけの利用も許されます。


しかし、日本人の感覚では、「何の用か」と聞かれそうな気がして、なかなか利用しにくいものです。


私自身もそうですし、旅行家の<a style="color:#333;text-decoration:none; font-weight:normal;" href="http://ryokosuki.cocolog-nifty.com/" target="_blank">大木一雄</a>さんもそうおっしゃっています。


出入りの多いカフェなら大丈夫だろうとか、厚いドアが閉まっている高級レストランは駄目だろうということは分かりますが、その中間で迷う場合が少なくないのです。


私のアドバイスは、比較的大きなカフェを選ぶことです(小さなカフェやパブでは、トイレがない場合が多いのです)。


そして、椅子に座ってコーヒーでも飲んでゆくことにします。


こうすれば、「トイレはどこか？」と堂々と聞くことができるでしょう。


レンタカーで移動している場合には、ガソリンスタンドのトイレを利用します。


アメリカでは、昔は自由だったのですが、いまでは厳重に鍵がかかっているので、給油しないと駄目です。


オフィスのトイレも、普通は厳重に施錠されています。


会議や面談の途中にそっと抜け出して行っても、入れないわけです。


必ず、鍵を貸してもらう必要があります。


日本のビルでトイレが自由に使えるのは、治安の良さの証拠なのです。
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         <pubDate>Wed, 08 Sep 2010 11:11:55 +0900</pubDate>
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         <title>アートとパリとピカソ　その１０</title>
         <description>ピカソ美術館の地下フロアーには、ほとんど同時期にピカソを愛した女性マリー・テレーズとドラ・マールの2人が、強い個性そのままにキャンバスの中で永久の命を与えられている。
『人形を抱くマイア』はマリーが産んだピカソ54歳のときの娘。

その後再び1階に戻り、『草上の昼食(マネによる)』『座わる少女』を堪能しよう。
これで、ピカソの生涯を1900年代から1970年代まで駆け足で捉えたことになる。
「作品が日記」ともいわれるピカソ。
折々の人間模様とあわせてその名画のかずかずを楽しみたい。</description>
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         <pubDate>Fri, 13 Aug 2010 12:53:17 +0900</pubDate>
      </item>
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         <title>アートとパリとピカソ　その９</title>
         <description>部屋の入口通路に掛かっている『女の胸像』は『アヴィニヨンの娘たち』の習作として重要。
次に登場するのはピカソの最初の妻オルガの肖儀この作品を描いた翌年、27歳のピカソは彼女と結婚する。

次のピカソ自身のコレクションの間を抜けると、2人の長男を描いた『ピエロに扮したパウロ』が可愛い。
また新古典主義の作品『海辺を走る2人の女』もぜひ見ておきたい。
この後1階に降りて曲線の時代の代表作といっても過言ではない、『横たわる女』『庭の裸婦』を鑑賞して地下へ。</description>
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         <pubDate>Fri, 06 Aug 2010 12:52:49 +0900</pubDate>
      </item>
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         <title>アートとパリとピカソ　その８</title>
         <description>ピカソ美術館の入口に直行する前に右手の切符売場で入場券を購入する。
奥がミュージアムショップとカフェになっている。
正面入口を入ると左奥にクロークがあり、手荷物はここに預けて、正面右の階段を上がる。
2階左手の部屋がピカソ青の時代の展示室。

20歳でバルセロナからパリに出、画家として歩み始めたピカソの青春が、この部屋から始まる。
ここでは青の時代の代表作『自画像』が必見。
次の間の『兄弟』はバラ色の時代の作品。
先に進むとキュビスムの部屋。
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         <pubDate>Fri, 16 Jul 2010 12:52:18 +0900</pubDate>
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         <title>アートとパリとピカソ　その７</title>
         <description>同じパリにあるルーヴル美術館などと比べれば、ピカソ美術館は小さな個人美術館である。
けれど、20世紀最高の巨匠とうたわれる芸術家の作品を、これほど豊富に、しかも系統立てて収蔵した美術館は、世界広しといえどここ一館。

じっくり楽しむには、最低半日はほしい。
しかし、ここでそれだけの時間はとれないという旅行者のために、乱暴を承知で「効率のいいピカソ美術館巡り」を提案してみたい。
この古い館の門をくぐって石畳の庭に立っと、正面が美術館の入口。</description>
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         <pubDate>Sat, 03 Jul 2010 12:51:52 +0900</pubDate>
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         <title>アートとパリとピカソ　その６</title>
         <description>18世紀には、フランス革命時のパリの大司教として知られるジュイニェ家のものとなり、その後工芸学校として若い芸術家たちを迎え入れてきたオテル・サレ。
一時は住む人もなく、荒れ果てていたこの館の運命を変えたのは、1968年に成立した新しい相続税法だった。

ピカソ生存中に施行されたこの法律は、遺産相続税を芸術作品で物納してもよいという内容だった。
1904年、23歳でパリに移り住んで以来、この街を舞台に描き、恋し、生きたピカソが、91年の生涯を閉じたのは1973年。
新法成立の5年後だった。</description>
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         <pubDate>Wed, 16 Jun 2010 12:51:24 +0900</pubDate>
      </item>
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         <title>アートとパリとピカソ　その５</title>
         <description>今では世界中のピカソ・ファンの憧れを集めて、開館時刻前から見学者の行列ができるほど人気の高いピカソ美術館。
マレ地区という、パリでも一、二を競う瀟洒な歴史保存地区にこの美術館が誕生したのは、1985年9月23日のこと。

美術館となって現代に蘇ったこの建物は、実は30(庫以上も昔1659年に塩税徴収官ピエール・オーべ一ルのために建てられた貴族の館であった。
その建築主の職業から「オテル・サレ(塩の館)」と呼ばれたこの邸宅は、その後、主をかえながらも建築当時の優美な姿そのままに、パリの歴史を見守り続けてきた。</description>
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         <pubDate>Sun, 06 Jun 2010 12:50:58 +0900</pubDate>
      </item>
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         <title>アートとパリとピカソ　その４</title>
         <description>亡くなったこの巨匠の作品の散逸を防いだ。
物納される作品は、専門家と遺族の話し合いで決定されたが、残された作品があまりにも膨大であったため、その作業に6年もの歳月を要したという。
一方、作品を収容する新しい美術館の建設も計画された。

検討の結果、当時パリ市所有となっていたこの「塩の館」を改築し、ピカソ美術館にしようという案が採用された。
1983年5月、コンクールで選ばれた設計者ローランド・シムネは、この館を美術館にするべく工事を開始したのだった。</description>
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         <pubDate>Wed, 12 May 2010 12:50:33 +0900</pubDate>
      </item>
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         <title>アートとパリとピカソ　その３</title>
         <description>新しい芸術運動の根城となった場所に立つと、感慨もひとしお。
そしてネオンがともる頃には、ロートレックが夜ごと訪れたキャバレー、ムーラン・ルージュをのぞいてみる。
踊り子たちのフレンチ・カンカンに導かれくいつしか画家が描いたベル・エポックの世界へと迷い込む。

ユトリロやピカソが通ったシャンソン酒場ラパン・アジルでは、今も昔懐かしい歌声が流れる。
しみじみと、または華やかに、芸術の丘の残り香を堪能してみたい。
また、舞台などを見ながら写真を撮ったりするのも楽しみもある。</description>
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         <pubDate>Mon, 03 May 2010 12:50:07 +0900</pubDate>
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         <title>アートとパリとピカソ　その２</title>
         <description>モンマルトルの丘で生まれ育った彼は、モンマルトルの様々な表情をキャンバスに描きとめた。
丘の頂上に典雅な姿を見せて建つサクレ=クール寺院、石畳の小道沿いにひっそりと建ち並ぶ白壁の家…

今でもモンマルトルの裏道を歩けば、彼が描いたままの静かなたたずまいを目にすることができる。
さらに、この丘に暮らした画家たちのアトリエ跡を散策してみる。
とりわけ有名なのが、20世紀初頭にピカソ、ドラン、ヴラマンクらが共同生活を送っていたアトリエ長屋「洗濯船」。</description>
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         <pubDate>Sun, 18 Apr 2010 12:49:37 +0900</pubDate>
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         <title>アートとパリとピカソ　その１</title>
         <description>時代の流れにのって、キャバレーやシャンソン酒場がひしめくパリきっての歓楽街に発展。
「自由の町モンマルトル!聖なる丘モンマルトル!」
画家や詩人たちは口々にそう叫び、夜の街に繰り出した。

自由で華やいだ雰囲気のなか、彼らはのびのびとその才能を開花させていく。
芸術の丘モンマルトルに、そんな古き良き時代の面影を追って、画家たちの足跡をたどってみよう。
モンマルトルを愛した画家の中でも、忘れてはならないのがユトリロであることは言うまでもないだろう。</description>
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         <pubDate>Sat, 03 Apr 2010 12:48:39 +0900</pubDate>
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         <title>キャンベル・スープ缶</title>
         <description><![CDATA[ウォーホルの作品、キャンベル・スープ缶。

これがファクトリーで制作された作品、第2弾です。

<img alt="Uohol-soup.jpg" src="http://onpointpub.com/images/Uohol-soup.jpg" width="275" height="350" />

Ⅰ、Ⅱのシリーズがあり、これはⅡのなかの1点です。

ウォーホルは1962年から1968年頃、この缶を題材とした作品を多く制作しました。

その一連の作品は、ペンシルベニア州にあるアンディー・ウォーホル美術館に展示されています。

ウォーホルがこのスープ缶を選んだ理由にこんなことを言っています。

「僕は自分が美しいと思うものを、いつも描いているだけです。

僕はスープを描いていますが、それは僕がスープを好きだから。」


とてもシンプルな理由です。

モチーフを選んだ理由なんて芸術家には愚問ですね。

]]></description>
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         <pubDate>Mon, 01 Mar 2010 16:07:05 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>ウォーホルの映画</title>
         <description><![CDATA[アンディ・ウォーホルは、『エンパイア』（1964年）などのコンセプチュアルな実験映画を次々に制作・上映していました。

この『エンパイア』という映画は、今は無きエンパイアステートメント・ビルを延々と映したものです。
長さはなんと<strong>8時間</strong>！！

衝撃的な長さです。

どんな不眠症の人でも眠れるかもしれません。

<img alt="andy-empire.jpg" src="http://onpointpub.com/images/andy-empire.jpg" width="230"  />

ウォーホルはこんな言葉を残しています。

「私は退屈なものが好きです。窓のふちに腰をかけて、外を眺めて見ると、実に面白く感じる。むろん、そのために時間がとられてしまう。しかし、実際に、一日中窓から外をのぞいている人々の姿が見られるのではないだろうか。だから、私自身もそうしたいと思う。どっちみち、自分の部屋の窓からのぞいていなければ、私はどこかの店にすわって外の往来を眺めているにちがいない。だから、私の映画は時間つぶしの方法を示したものにすぎないのである。」]]></description>
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         <pubDate>Mon, 15 Feb 2010 11:56:15 +0900</pubDate>
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         <title>アンディ・ウォーホル</title>
         <description><![CDATA[今回はコンセプチュアル・アートの先駆者、アンディ・ウォーホルです。

<img alt="maririnpinku2.jpg" src="http://onpointpub.com/images/maririnpinku2.jpg" width="333" height="330" />

このシルクスクリーンは、アメリカの有名な女優マリリン・モンロー。

ウォーホルの作品は、彼女をモチーフにしたものが特に有名ですよね。

ウォーホルは銀髪のカツラをトレードマークとし、ロックバンドのプロデュースや映画制作なども手掛けたマルチ・アーティストです。

本名はアンドリュー・ヴァーコラといいます。

]]></description>
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         <pubDate>Sun, 17 Jan 2010 14:01:54 +0900</pubDate>
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         <title>イヴ・クライン②</title>
         <description>イヴ・クラインは多くのパフォーマンスや、その記録写真も残しています。

有名なものは、彼が塀の上から道路の上空に向けて跳躍している写真作品『空虚への跳躍』ですね。彼は空中を飛ぶという夢にとらわれ、何度もパフォーマンスを行ったそうです。

可視のものを不可視にし、また可視に戻すことは彼の芸術のシステムであり、続いて行った儀式的パフォーマンスアートであり絵画でもある『人体測定』シリーズにつながりました。

1960年から始まった制作で、彼は公開制作の際に観客たちに完全な正装を求め、自らも正装で臨んでいます。それは破天荒な場を神聖化するための儀式でもありました。

自作の曲『モノトーン・シンフォニー』を指揮し、オーケストラに演奏させ、IKBの顔料を体に塗ったヌードモデルたちに指示を与えキャンバスに横たわらせたり、横たわるモデルの周りのキャンバスにIKB顔料を吹き付けたりしました。

この結果、「人間の動的エネルギーの痕跡」がキャンバスに残ることになったんです。

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         <pubDate>Sat, 26 Dec 2009 14:53:50 +0900</pubDate>
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