デュシャンはニューヨーク・ダダの中心的人物と見なされ、20世紀の美術に最も影響を与えた作家の一人と言われる。デュシャンが他の巨匠たちと異なるのは30歳代半ば以降の後半生にはほとんど作品らしい作品を残していないことである。彼が没したのは1968年だが「絵画」らしい作品を描いていたのは1912年頃までで、以降は油絵を放棄した。その後、通称「大ガラス」と呼ばれるガラスを支持体とした作品の制作を続けていたが、これも未完のまま1923年に放棄。以後数十年間は「レディ・メイド」と称する既製品(または既製品に少し手を加えたもの)による作品を散発的に発表するほか、ほとんど「芸術家」らしい仕事をせず、チェスに没頭していた。
彼のこうした姿勢の根底には、芸術そのものへの懐疑がある。晩年の1966年、ピエール・カバンヌによるインタビュー(『デュシャンは語る』ちくま学芸文庫)の中でデュシャンは「網膜的」な芸術への懐疑と嫌悪を明言している。
墓碑銘に刻まれた「死ぬのはいつも他人ばかり」という言葉も有名。寺山修司が好んだとされる。