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2009年04月 アーカイブ

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コンセプチュアル・アートとは

コンセプチュアル・アートは、1960年代から1970年代にかけて世界的に行われた前衛芸術運動。
アイデア・アートとも呼ばれる。

日本ではかつて概念芸術や観念芸術と訳されることが多かったが、いまは「コンセプチュアル・アート」とカタカナで書かれることが多い。1966年−1972年が最盛期。

コンセプチュアル・アートのルーツは、1910年代のマルセル・デュシャンの仕事に求められる。

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デュシャン

デュシャンは従来の絵画や彫刻という形式に当てはまらないレディ・メイド(既製品)という芸術形式を提起した。
1950年代、抽象表現主義に対する反発としてネオダダ運動がおこり、デュシャンが再評価された。

ネオダダのアーティスト、ロバート・ラウシェンバーグはウィレム・デ・クーニングに提案してドローイングをもらい、それを丹念に消し去って『消去されたデ・クーニングのドローイング』。

ポップ・アートのアンディ・ウォーホルも、『エンパイア』(1964年)などのコンセプチュアルな個人映画(実験映画)をつぎつぎに制作・上映し、話題になった。
ヨーロッパにおける先駆者としては、イヴ・クラインとピエロ・マンゾーニの存在が大きい。

フルクサスの活動はしばしばコンセプチュアル・アートと混同されるが、ミニマル・アートとともに一方の親とみるべきである。
ゴダール監督の映画『小さな兵隊』は、コンセプチュアル・アートのタイポグラフィック的なスタイルに大きな影響を与えている。

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概観

コンセプチュアル・アートは、ミニマル・アートのつぎの(シリアスな)アートとして、美術ジャーナリズムが舞台を用意し、預言者の登場を待ちうけたアートであった。

最終的にはジョセフ・コスースが預言者の位置を占めたが、そこに至るまでには紆余曲折があった。
はじめローレンス・ウェイナー、ロバート・バリー、ダグラス・ヒューブラーが注目されたが、ソル・ルウィットが『コンセプチュアル・アートについてのパラグラフ』というエッセイを発表すると、これが「コンセプチュアル・アート宣言」のように受け取られた。

しかしルウィットは物理的な作品を制作するため、厳密にはコンセプチュアル・アーティストとはいえない。

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アート・アンド・ランゲージ

最後発の「アート・アンド・ランゲージ」グループ(ジョセフ・コスースも参加した)は、コンセプチュアル・アートをきびしく定義し直した。

それまでのほとんどの芸術作品(コンセプチュアル・アートを含む)は、アーティストの社会的・哲学的・心理的基盤を図解したものにすぎないと切り捨て、その考えのもとに出版物、目録、文書、絵画の制作を続けた。

彼らにとっては芸術作品の制作よりも、芸術について論じることのほうが重要だった。
彼らは初のコンセプチュアル・アートの展覧会と称して、1970年に「コンセプチュアル・アートとコンセプチュアル・アスペクツ」展(ニューヨーク文化センター)を行った。

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フォーマリズム理論

アメリカ美術がヨーロッパ美術を乗り越えたとして、抽象表現主義をさかんに称揚したグリーンバーグ(アメリカの美術評論家)のフォーマリズム理論が、当時のヨーロッパでいかに反感を持たれたかを示すパフォーマンスにつぎのようなものがある。

ロンドンのセント・マーティン美術学校で講師をしていたジョン・レイサムは、グリーンバーグの著書『芸術と文化』が生徒の間で大きな影響力をもっていることを憂慮し、学校の図書館からそれを借りだした。

そして生徒と美術関係者を自宅に集め、同書の任意のページを噛ませた。
吐き出した紙は容器に入れ、塩酸と水酸化ナトリウムと酵母を加えてどろどろになるまで溶かし、一年後、その状態で学校に返却した。

その結果、彼は学校を首になった。